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サラリーマンから住職へ?!
紫陽花で有名な鳴門「潮明寺」が生まれ変わる!

サラリーマンから住職へ?!
紫陽花で有名な鳴門「潮明寺」が生まれ変わる!

徳島県鳴門市にある「潮明寺」。
県内有数の紫陽花の名所として有名なこの寺で、新しい取り組みが始まろうとしています。

仕掛け人は来年春から新しく住職になる小林真明さん。地元徳島に戻り、住職になることを決断した小林さんは、この4月から、高野山に修行に出るといいます。

出発直前の春の日に、潮明寺にかける想いと今後の展望について伺いました。


「潮明寺を継ごうと思ったきっかけ」

— まずは、「潮明寺のあとを継ごうと思ったきっかけ」について教えてください。

全国転勤のある仕事を9年続け、2024年12月に徳島に帰ってきました。

まず1つ目は、家族の出来事に深く関係しています。祖父は鳴門結衆の中でも非常に豪快な住職だったと伺っています。そんな祖父ですが、自身の娘の夫である私の父のことを気にかける、情に厚い人間だったと聞きました。教員だった父の仕事のことを気にかけ、いつも非常に厚くサポートしていたとのことで、その支えもあり父は仕事を続けられたそうです。父自身も「自分の仕事を全うできたのは、潮明寺の支え、とりわけ真裕上人(私の祖父)の力が大きかった。」と言っていました。

その話を、私は2023年の5月に、初めて聞きました。それまで私は保険会社で働いていたのですが、その話を聞いた瞬間、「潮明寺という存在がなければ、祖父がいなければ、自分はこの世に生まれていなかったかもしれない」と強く感じました。祖父のサポートがあり、父は教員として仕事を続けられた、そのサポートがなければ私も生まれていなかったかもしれない。

そのとき初めて、自分の人生とお寺がつながったような気がして、「継ぎたい」という想いが湧き上がってきました。
すぐに潮明寺の住職である叔父にその思いを伝えたのですが、当時は「娘が2人いるので、どちらかが継ぐだろう」と思っていたらしく、話は進みませんでした。

それから、1年経った2024年8月末、叔父が末期がんになっていることがわかりました。
余命半年の膵臓癌、ステージ4でした。そこで改めて私から住職をやりたいという話をしたところ、叔父が私を選んでくれたということです。

— なるほど。では、もうひとつのきっかけは?

はい。もうひとつのきっかけは、「潮明寺=大好きなおばあちゃんの家」という感覚です。
これまで兵庫・広島・盛岡・東京といろんな場所に住みましたが、徳島に戻ってくるたびに必ず潮明寺に立ち寄って、おばあちゃんに会っていました。毎年5月にはおばあちゃんの誕生日会があり、一族みんなが集まってにぎやかに過ごす、そんな大切な場所でした。
でも、お寺というのは住職が代わって他人になってしまうと、「出ていってください」と言われれば家族もみんな出なければならないこともあるんです。おばあちゃんや叔母も、そうなってしまうかもしれない。それだけは絶対に嫌だった。
だから、「自分が継ぎたい」という思いは、家族への愛情と、お寺への感謝の気持ちが重なった結果なんです。
— とても強い想いを感じます。

「潮明寺で過ごした思い出」

— 小さい頃から、お寺に来る機会は多かったんですか?
はい。徳島に帰省すると、必ず潮明寺に来ていました。特にゴールデンウィークや年末年始は、一族が全員集まる恒例の行事で、おばあちゃんの誕生日にはモアナコーストで誕生会をするのが毎年のイベントでした。家族それぞれが好きなことを自由に話して、誰も人の話を聞かないような賑やかな集まりでしたが(笑)、私にとっては心が落ち着く、安心できる場所でした。

— 5月のお誕生日会には、どれくらいの人数が集まるんですか?
多いときは20人近くになります。親戚やその配偶者、甥や姪、いとこたちも集まるので、毎回とてもにぎやかです。

— ご家族にとって、とても大切な拠点だったんですね。
はい。私にとって潮明寺は、大好きなおばあちゃんの家であり、心が安らぐ場所でした。

「祖父と叔父、そして両親の想い」

— 潮明寺を継ぐことを、ご両親に話したときの反応はいかがでしたか?
ものすごく喜んでくれました。特に父はとても厳しい人で、普段あまり感情を表に出さないのですが、「人生の終わりに、息子に三途の川を渡らせてもらえるなんて、、これほど嬉しいことはない」と初めて褒めてくれました。
息子としてもとても嬉しかったです。

母も、全国転勤でなかなか帰ってこないと思っていた私が徳島に戻ってきてくれることを、心から喜んでくれました。

— おじいさまやおじさまの姿から、受け取ったものも多かったのではないでしょうか?
はい。祖父はとても情に厚い人で、周囲からの信頼も厚かったと聞いています。
父を支えていたというエピソードを聞いてから、その偉大さを改めて知りました。また、もともとは貧しい寺だったようですが、祖父の代でご詠歌を教えることをはじめ、弟子の数はなんと100人。そのおかげで経済的な困難も乗り越えることができました。
叔父もまた、潮明寺の魅力を発信し続けてくれた存在です。この潮明寺をあじさい寺としてメディアに露出させ、有名にしていったのも叔父です。
住職としてだけでなく、地域に開かれたお寺づくりをしてきた人でした。
この二人の存在があって、私も「何か新しいことをして、彼らのように信頼される住職になりたい」と思うようになりました。

「これからの潮明寺と地域との関わり」

— 今後、潮明寺をどのような場所にしていきたいと考えていますか?
平たく言うと、“皆さんの推しの寺”にしていきたいと思っています。
ひとつは、訪れた人が元気や活力をもらえて、前向きな気持ちになれる場所にすること。静けさの中に美しさがあり、仏様の存在を感じながら明日を迎える勇気が持てる。そんな空間を目指しています。
もうひとつは、地域の人の流れをつくる拠点になることです。たとえば、サイクリングで県外から訪れた方がまず潮明寺に立ち寄り、そこから市内や周辺地域に足を延ばしてもらえるような場所にしたいと思っています。
私ひとりの寺ではなく、エリア全体を巻き込んで盛り上げていく。そのためには人とのつながりが大切だと思っていて、これからもたくさんの人と出会いながらチャレンジを続けていきたいです。

— サイクリストの方に楽しんでもらえるような取り組みも始められると聞きました。
「サイクルみくじ」を始めます。ガチャガチャをまわすとおみくじが引ける仕組みにしました。
自転車が好きな方が楽しめるように「運勢」ならぬ「運走」がわかるようになっています。
ラッキースポットには、徳島県内のおすすめ観光スポットを書いていて、つぎのサイクリングのきっかけにしてもらえたらという思いがあります。

あとは、絵馬ですね。渦潮を背景に、赤い自転車が映えるデザインにしました。
願いを書いてもらう護摩木(ごまぎ)は紫陽花寺にちなんで紫色に。いまはひっそりとおこなっている護摩業も、
炎が大きく立ち上がり、かなり迫力のあるものなので、ゆくゆくはお寺に訪れる人にもみていただけるものにしたいと思っています。

また、この6月の紫陽花シーズンには、あじさいみくじも開始予定です。
紫陽花を見にお越しいただいたときには、ぜひひいてみてほしいですね。

— 新しい取り組みを進めるにあたって、仲間づくりや人とのつながりについて、どう感じていますか?
最初は不安もありましたが、まるで“わらしべ長者”のように、ひとりのご縁が次のご縁を呼び、ありがたいことに多くの方と出会うことができています。
お寺の業務はきっちりとこなしながらも、私はこれまでずっと外の世界で働いてきたので、むしろ外に出ていくスタイルは変えたくありません。保険会社での8年9ヶ月の経験も、今の活動にしっかり活かせていると感じています。

— 最後に、これから潮明寺を訪れる方にメッセージをお願いします。
悩みや不安を抱えている人こそ、ぜひ訪れてほしいと思います。
SNSの発展などで人とのつながりが希薄になり、悩みを誰にも言えず、ひとりで抱えてしまう人が増えています。そんなとき、仏様の前で静かに向き合う時間を持つことで、少しでも心が軽くなればと願っています。
また、境内の奥にある“祠”もぜひ訪れていただきたい場所です。祖父が強い想いを持って迎えたガネーシャ様を祀っており、普通の祠に見えますが、ものすごいパワーを感じる場所です。まさに“パワースポット”だと思っています。

編集後記

小林さんの熱く、まっすぐな想いを伺い、これからの潮明寺がとても楽しみになりました。
鳴門の、そして徳島の新しい観光スポットになること間違いなし。
徳島にお越しの際にはぜひ足を運んでみてくださいね。

潮明寺
鳴門市鳴門町土佐泊浦字高砂22

■ 公式Instagram
海門山 潮明寺 | 4/7(月)に出家する脱サラ
https://www.instagram.com/choumeiji_naruto