特集
徳島らしい色を纏う
石井町「繭窯」藍浅葱の焼き物
食器や花瓶、置き物…。私たちの暮らしを彩ってくれる焼き物。
特に、昔ながらの手法や技を使って作られる伝統的な焼き物は年配の人はもちろん、最近ではその独特の趣に惹かれる若い人も増えているようです。
石井町で父の跡を継ぎ、徳島らしい色の焼き物を生み出し続ける若き陶芸作家・佐藤光春(こうしゅん)さんに焼き物の魅力や、これから創りたいものなどについてお話を聞きました。
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弘法大師が幼少の頃に学び「いろは四十八文字」を創作したとされ、また今では藤の花の名所としても知られる石井町『童学寺(どうがくじ)』。
その近くの小高い山をのぼっていくと、豊かな自然に囲まれた建物が見えてきます。
ここが『繭窯(まゆがま)』です。
笑顔で出迎えてくれたのは、二代目・佐藤光春(こうしゅん)さん。
『繭窯』は光春さんの父である陶芸作家・佐藤光夫さんが開いた窯です。
『繭窯』という名前の由来は、登り窯が繭のような形だったことと「繭の中から蝶が出てくるように、窯から美しい器が出てくることをリンクさせてつけたようです」と光春さんは話します。
1988年に『繭窯』を築いた光夫さんは、青瓷(せいじ)に特化した陶器を作りながら「徳島らしい焼き物を作りたい」とこの場所で研究に没頭していました。
あるとき、徳島で育てられた藍の茎を灰にして精製して釉薬に混ぜることを思いつきます。「青瓷は色の元である釉薬に鉄を使うことで独特の青緑色になります。藍の灰は失透性(ツヤをなくすこと)に優れていて、釉薬に入れることでほんのりグレーを帯びた柔らかな独自のブルーになることを父は発見したんです」。
藍の持つ特性を使った色を、光夫さんはこう名付けました。
「藍浅葱(あいあさぎ)」。
日本古来のあざやかな緑みの青に、徳島の誇る藍を加えたその名前に光夫さんの誇りが込められています。
この釉薬を生み出したことにより、唯一無二の作品を次々と世に生み出してきた光夫さん。
藍が持つ美しい色彩、土と造形、そして釉薬が一体になった作品を目指し、この窯で日々研鑽を重ねていました。
365日、24時間試行錯誤を続ける光夫さんのそばで、息子である光春さんは物心ついたときから自然と土いじりをしていたそうです。
「子どもの頃は見様見真似でやっていましたね。18歳のときには本格的に陶芸をやりはじめるようになりました」。
いずれは父の窯を継ぐだろう。
そんな思いで少しずつ父から陶芸について教わっていきました。
今から10年前ほど前、光春さんは光夫さんから「藍浅葱」の釉薬作りや窯の焚き方を教わるようになりました。自ら編み出した門外不出の釉薬について伝えはじめたのは「僕が30歳にはデビューできるようにという父の想いがあったのだと思います」と光春さん。
父から息子へ。まさに一子相伝の焼き物作りが受け継がれていきました。
その5年後、光夫さんは病に倒れ亡くなります。
父の跡を継ぎ、若くして二代目窯元になり6年。父が生み出した世界にひとつだけの藍浅葱を追求していくことが、陶芸作家・佐藤光春としてやらなければいけないことのひとつだと話します。
「すべて引き継げたわけではなく、いまだに分からないことも多いんです。父ですら亡くなるまで研究していたくらいですから。知れば知るほど底が見えない焼き物作りを、手探りながら突き詰めていきたいと思います」。
工房のそばにあるギャラリーには、光夫さんと光春さん、親子2人の作品が並びます。
「僕らのような伝統工芸派は、花瓶や食器など日常で使えるものを作っています。父はよく“焼き物は生活を豊かにするもの”と話していました。まずは使えること。そして美しいもの。日常生活でアレンジできるものを提供していきたいと思っています」。
藍浅葱だから出せる独特のやさしい色合いの作品は、見る人の心をとらえます。
ギャラリーのほか「阿波おどり会館」の常設展示、最近ではふるさと納税の返礼品、世界をターゲットにした通販にも力を入れています。
「これから海外にも目を向けたいと思っているんです。青瓷発祥の地である中国でも珍重されて、北京の故宮博物院や台北の故宮博物院、日本では大阪市立東洋陶磁美術館などに所蔵されている「汝窯青磁(じょようせいじ)」という国宝の色が藍浅葱に似ているんです。父が研究の末に生み出した色が通用するのか、中国で勝負してみたいと思っています」。
作品制作の傍ら、毎週土日には工房で陶芸教室を開催しています。
「縄文時代から人は手で土をこねて器を作ってきました。そして誰しもが子どもの頃に土遊びをした経験があります。陶芸は長い歴史を持つものであり、身近なもの。その魅力をたくさんの人に知ってほしいと思っています」。
「父の残してくれたものを広めたい、伝えたいとは常に思っています。けれど、父の技術は非常に難しいものなんです。だから、父が亡くなるまで突き詰めようとしていた陶芸の魅力を、少しでもたくさんの人に知ってもらえるために、僕が分かりやすく噛み砕いて伝えられるようにしていきたいと思います」。
「陶芸は手で作るからこそ、その人の個性が表れるから」。多様化する時代に、自由に作ってもらうことを大事に。強いこだわりを押し付けずに陶芸の楽しさを伝えることで裾野を広げていくことが自分の使命なのだと、光春さんは話します。
34歳という若さで窯元になった光春さん。
藍浅葱という唯一無二の作風を生み出した父の跡を継いだことへのプレッシャーと重みは計り知れないものだったはず。
その中でも守るべきものを守り、自分らしさも確立しながら、さらに陶芸の魅力を広めたいと果敢に挑戦し続けています。
青浅葱という器、そして佐藤光春という陶芸作家の名前が世界の各地で知られるようになるのも、そう遠い未来の話ではないかもしれません。
『繭窯』体験の紹介はコチラ
https://activityjapan.com/publish/plan/36464
東部圏域の魅力的な、「食」&「技」感動体験が詰まったパンフレットのダウンロードはコチラ
https://www.east-tokushima.jp/brochure/