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Watanabe’s |伝統を継承しつつ新しい藍のカタチを創造する
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Tradition with the Novelty
1966年に徳島県の藍作付面積が4ヘクタールとなったとき日本の藍の生産は最低になりました。
その後阿波藍を守ろうとした人たちの尽力で20ヘクタール前後まで戻します。
ただし、最盛期である1903年の15,000ヘクタールに比べると、ごくわずかの生産量。
阿波藍の存続が危機であることに変わりはありません。
そんな中、藍の伝統を踏襲しつつ、新しいカタチで藍に取り組む世代が増えてきました。
上板町に工房を構える「Watanabe’s」もそのひとつ。
代表の渡邉健太氏は山形県出身。東京でサラリーマンとして働いていたとき、偶然に見かけた藍工房を見学。そこで藍染の色、風合い、香り、手触り、全てに衝撃を受け、一瞬で藍染に魅了されてしまったそう。すぐに会社に辞表を提出、藍染修行ができる工房を探し始めました。
修行先を探す中で、徳島県上板町が藍に特化した地域おこし協力隊を募集していることを知り、早速応募して採用。
町の臨時職員として、藍師、藍農家で藍にまつわる全てを学び始めました。
藍を栽培する農家、染料の元になる蒅(すくも)を作る藍師、それを使う染師など、従来は分業が普通だった藍産業だが、渡邉氏は藍の栽培から蒅(すくも)づくり、染め、デザイン、縫製、商品化まで全ての工程を一貫して行うユニット作りに着手、町から副業の許可を得て、2015年に協力隊仲間の一人と「BUAISOU.」を立ち上げました。
「畑から全部やるなんて無理だ」との周囲からの心配の声をよそに、彼らは情熱と勢いで藍作りをスタート。
数々の難題に直面しながらも、伝統のルールにとらわれない藍染めは徐々に好意的な目を向けられるように。
天然素材が求められる流れの中、「BUAISOU.」は国内のみならず世界から注目されるユニットに成長しました。
2018年、一定の地位と評価を得たにも関わらず、渡邉氏はさらなる可能性を求めて、「BUAISOU.」を脱退、新たに同町で「Watanabe’s」を設立。
かつては庶民が普段の生活で親しんだ藍染が、いつの日か高級な伝統工芸や芸術作品に姿を変えた現在、彼は藍をもう一度一般的な暮らしの中に戻すことを渇望しています。
藍作りの歴史、伝統技術を研究しながら、より地元に根付いた工房作りを目指し始めました。
工房に隣接する「金時豚」の生産者と組んで、より良い肥料づくりにトライするなど、地元循環型の生産方法を深めたり、
地元の小学校で子どもたちと一緒に藍畑を作って、栽培から藍染までの過程を一年を通して経験してもらう活動を行っています。
藍に携わる人が増えて、藍の生産量が増える。生産量が増えることで藍の価格が抑えられ、藍が普段の暮らしに溶け込んでくる。
かつて吉野川流域に大規模に広がった藍畑の景色を夢見て、watanabe’sの挑戦はこれからもつづいて行きます。
Watanabe’s
〒771-1350 徳島県板野郡上板町瀬部314番地10
https://www.watanabezu.com